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- 卒業生インタビュー
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CASE 01
トレーナー
山中 惟嗣さん株式会社サンフレッチェ広島
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CASE 02
柔道整復師
松浦 大輔さん岐阜バランス整骨院 院長
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CASE 03
トレーナー
小林 睦宜さん福岡ソフトバンクホークス株式会社
トレーナー
山中 惟嗣さん
株式会社サンフレッチェ広島
トレーナーを目指した
きっかけは、自分のけが。
育成年代のサポートに
トップの経験を生かしたい。
トレーナー山中 惟嗣さん
- 現在のお仕事は?
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Jリーグに所属するサッカークラブ サンフレッチェ広島 でトレーナーをしています。
トレーニングのサポート・試合帯同・応急処置などをするのは、私を含めた6名の専属トレーナー。私はジュニアユースチームのトレーナーも兼任しているので、午前はトップチーム、午後はジュニアユースチームとして動くことが多いです。特にジュニアユースではスタッフの人数が限られているため、選手への教育的指導・保護者指導・試合や遠征への帯同など、ほんとうに幅広く担当しています。
ジュニアユースのトレーナーとしては、選手との距離感に一番気をつけています。年齢が近いぶん、友達感覚のようになりやすいからです。教育的指導をする立場でもあるので、線引きが難しいですね。選手にとって相談しやすい存在になることを意識しています。
一般的なトレーナー業務から教育的指導まで、幅広い業務がある仕事ですが、リハビリテーション指導などで一緒につらい時期をともにした選手が、回復してピッチで活躍している姿を見ると嬉しいですね。
- 現在のお仕事をしたいと思ったきっかけは?
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Jリーグのトレーナーとして働きたいと思ったきっかけは、サッカーをしていたときのけがでした。
小学生から高校生までサッカーをしていましたが、けがのために思うようにプレーできないことがありました。この経験から、次第に「けがで悩んでいる人をサポートしたい」「痛みのせいで、スポーツを嫌いにさせたくない」という気持ちが強くなりました。
それぞれの選手が、しっかりと自分の力を出せるようなサポートをしたいです。
- 名古屋平成では、どんな思い出が?
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一般の患者様を相手にした「AT現場実習」は、とても緊張する実践の場でした。
2人1組で患者様の状態をチェックしてアプローチの仕方を考え、先生に確認していただき、足りない部分は補ってもらう、ということを繰り返し経験しました。なかには、症状を悪化させてしまいそうになったこともありました。もちろん先生に止められるのでその場では大丈夫ですが、教科書で勉強しているだけでは実践できないことを痛感しました。そのときに先生がおっしゃった「治療とかリハビリという名の暴力だよ」という言葉は、今でも忘れないようにしています。
また、さまざまなカテゴリーの競技スポーツ現場を体験し、たくさんの失敗を経験しました。ラグビーでタックルされた選手に駆け寄ったときに、痛むという太ももを先生がくるまで保持することしかできませんでした。選手は1年以上かけて復帰したとわかりましたが、その場で先生から厳しく指導されましたし、自分でも「このままではマズい、医学知識が圧倒的に足りていない」と思いました。このような経験が、はり・きゅう学科へ再進学するきっかけとなりました。
- 今後の目標は?
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トップチームの知識や経験を、育成年代のサポートに生かしたいです。
まずはトレーナーとしての技術を極めたいと考え、より競技レベルの高い選手がいるサンフレッチェ広島へ移籍しました。
将来的にはトップチームで得た知識や経験をもとに、以前の自分のような、けがで悩んでいる育成年代の選手のためにサポートする役割を担いたいです。
- スポーツ業界で活躍したい受験生にメッセージをどうぞ
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勉強も、遊びも、全力でがんばってください!
競技・年齢・性別に関わらず、選手は厳しい指導を受けながら、毎日汗を流しています。これは、トレーナーを目指す人にも同じことが言えると思います。選手が練習をするように、トレーナーもたくさん学び、知識や技術を蓄え、資格を取得する必要があります。遊びを含め、多くの経験をすることも大事だと考えているので、勉強も遊びも全力でがんばってください。
これからの人生でさまざまな課題に直面したとき、友達や仲間の存在に救われることがきっとあります。あなたのまわりにいる人たちとの縁を大切にしてください。
Profile トレーナー 山中 惟嗣(やまなか ただし) 株式会社サンフレッチェ広島
- プロフェッショナルトレーナー学科(現:アスレティックトレーナー学科)/2015年3月卒業
- はり・きゅう学科/2018年3月卒業
- 【資格】はり師〈国家資格〉、きゅう師〈国家資格〉、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー
新潟県のサッカーチームでトレーナーとして勤務したのち、トレーナーの技術をより極めたいという思いからサンフレッチェ広島へ移籍。ジュニアユースのトレーナーも兼任している。